「歴史書としては面白いが、映画化すると面白くない」ということをよく言われることがあるが、この映画もこの例外ではなかった。
封切りの日に早速映画館に駆けつけたが、正直どの部分が「70年目の真実なのだろう?」と思ってしまった。
歴史を平面的に追っていくだけでは、ドラマとしての盛り上がりに欠けることになる。「人間・山本五十六」を描きたかったのか、それとも実は対米戦争を避けたかったにもかかわらず、真珠得湾奇襲作戦の主謀者の立場に置かれてしまった人間の悲劇を描きたかったのかが明らかではなかった。
しかし最近の映画ではCGを多用しているために、戦闘場面などは実戦さながらの迫力で迫って来る。
この作品が平凡に終わった原因をあげるとすれば、次のようになる。
第一に、俳優が役柄に全く合っていなかった。完全なキャスティング・ミスである。主役の五十六役には役所広司、米内光政役には柄本明であったが、本物とは似ても似つかない俳優である。
役所広司は都会人の中年の典型的イメージである。企業の課長か部長役だったらピッタリだったと思うが、どうみても五十六の役柄ではない。
米内光政役の柄本明は、美丈夫といわれた米内とは対極にある俳優だ。性格俳優の柄本のはまり役ではない。
井上成美役の柳葉敏郎だけが辛うじて合格している。丸顔の山口多聞役には細面の阿部寛では全くイメージが合わないし、堀悌吉役の坂東三津五郎などはハンサム過ぎる。
実際の五十六の身丈は165センチほどしかなく、ずんぐりした農民の体型をしている。今から30年ほど前に、山本五十六を描いた映画では、五十六役を三船敏郎が演じたが、これは役にうまくはまっていた。この映画で三船は、新潟の長岡生まれの寡黙で情に厚い男を見事に演じていた。
第二に、何故五十六が真珠湾奇襲を意図せざるを得なかったのかの描き方が十分ではなかった。嶋田繁太郎海相宛の書簡で五十六の胸中を吐露する形をとっていたが、この辺の状況をもっと丁寧に映像で描いて欲しかった。
第三に、これは決定的な欠点であるが、この作品では五十六の本質が全く削らされていたことである。五十六という人間を、単に良き家庭人として描くことに終始していた。これでは花も実もある五十六にはならないのではないか。五十六の隠された部分に、もっと光をあてて欲しかった。その方が五十六という男の魅力が増したように思うがどうだろうか。
対米戦争へ舵をきった日本海軍のターニングポイントは昭和15年9月の日独伊三国軍事同盟の締結にあった。昭和12年2月から14年8月までの米内海相、山本次官、井上軍務局長の海軍左派トリオの時代は、対米戦争の流れをかろうじて食い止めていた。
それが昭和14年8月米内から吉田善吾に海相が代わり、次官の五十六に代わって住山徳太郎、井上軍務局長に代わって阿部勝男になると、日本海軍は親独派(対米強硬派)に一気に傾くことになる。
昭和16年12月8日の真珠湾奇襲作戦までの五十六は冴えに冴えていたが、その後は確固たる戦略を打ち立てることが出来なかった。真珠湾奇襲作戦の勝利によるおごりと弛緩と怠慢によるミッドウェー作戦の失敗以後の五十六は、ひたすら自分の死に場所を探していたように思えてならない。
対米戦争を食い止める唯一つの方策は、五十六が次官から連合艦隊司令長官に転出せずに海軍大臣に就任し、井上成美が海軍次官として五十六を助けて、陸軍や海軍内の対米強硬派の連中と徹底的にとやりあう以外になかったように思う。
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